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『麦秋』(ばくしゅう)は、小津安二郎監督による1951年・松竹大船撮影所製作の日本映画。日本では同年10月3日に公開された。 タイトルの「麦秋」とは、麦の収穫期で季節的には初夏に当たる時期を指す。 == 解説 == 小津の監督作品において、原節子が「紀子」という名の役(同一人物ではない)を3作品にわたって演じた、いわゆる「紀子三部作」の2本目にあたる作品である。1949年の『晩春』に引き続き、父と娘の関係や娘の結婚問題を主なテーマにしているが、本作ではそれがより多彩な人間関係の中で展開されている。 小津の前作『宗方姉妹』が公開された直後の1950年9月から製作の準備が始まり、1951年6月から同年9月にかけて撮影が行なわれた〔フィルムアート社編、前掲書、34ページ。〕。固定キャメラのイメージが強い小津としては珍しく、本作にはクレーンショットを用いたシーンがひとつあり、これは小津の全作品中でも唯一のものである。これは2人の登場人物が並んで砂丘を歩いていくところを背後から撮ったシーンで、砂丘は高低差があるため、固定キャメラの場合は2人が歩くにつれて画面の中心から外れていってしまう。これを避けるため、撮影しながらキャメラをクレーンでゆるやかに上昇させて、2人が常に画面の中央にいるようにした。すなわち、クレーンを使用する目的として一般的な、キャメラを動かして構図を変化させる意図ではなく、逆に構図を一定に保つためにクレーン撮影を使っているのである。 小津自身は、本作において「ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った」と発言しており〔キネマ旬報 1960年12月10日号(第273号)・12月増刊号。〕、小津とともに脚本を担当した野田高梧は「彼女(紀子)を中心にして家族全体の動きを書きたかった。あの老夫婦もかつては若く生きていた。(中略)今に子供たちにもこんな時代がめぐって来るだろう。そういう人生輪廻みたいなものが漫然とでも感じられればいいと思った」と語っている。また本作は戦後の野田・小津コンビ作品の中で野田自身が一番気に入っていた脚本であり、野田は「『東京物語』は誰にでも書けるが、これはちょっと書けないと思う」とも発言していた。 演出に関しては、小津は「さらさらと事件だけを描いて、感情の動きや気持の移ろい揺ぎなどは、場面内では描こうとせずに、場面と場面の間に、場面外に盛り上げたい」〔キネマ旬報 1951年8月15日号。〕「芝居も皆押しきらずに余白を残すようにして、その余白が後味のよさになるように」〔という狙いであると語っている。 公開後、キネマ旬報ベストテン第1位など数々の賞を受けるとともに、『晩春』に続いて起用された原と小津との結婚説が芸能ニュースを賑わせた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「麦秋 (1951年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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